『花のち晴れ』の展開に疑問を感じたけれど、ルネ・ジラールの『欲望の現象学』を当てはめたらすごく深い話だとわかった


 
はじめまして。ドラマ『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』を観ていた女子大生です。
 
 
 
いきなりですが、本題に入ります。
私はこの作品を観ていて、疑問に感じた点が2つありました。
 
 
 
疑問点①:なぜ神楽木晴は、江戸川音に固執し続けたのでしょうか?彼女は婚約しており、それを理由に振られたことがあるにも関わらず。
また、神楽木晴の周りには愛莉やメグリンといった複数の女性がおり、想いを寄せられていたが、一切なびくことなく江戸川音を想い続けたことにも疑問を感じました。
(神楽木晴はメグリンと一度は付き合ったが、気持ちは江戸川音にいつも向いていたため、メグリンのことを本当に好きにはならなかったと解釈しました)
 
 
直感的に考えると、少しおかしさを感じませんか?普通、好きな人がもう誰かと婚約していたら、諦めるべきですよね。実際Twitterでも、音ちゃんと天馬くんのカップルでいいのに。という意見が結構多かったように思います。
 
なぜそこに神楽木晴は入り込もうと必死なのでしょうか?
諦められないほどの好意を抱いてしまったのでしょうか、けれども、そこまで深い想いを抱く過程は見て取れませんでした。
 
ここで考えてみたいことがあります。
神楽木晴は、本当に「江戸川音自身」が好きだったのでしょうか?
 
 
  
疑問点②:終わり方。
江戸川音が「それから…それから…」と、神楽木晴との楽しい想像をしながら彼の元へと向かう笑顔の場面が、最終回のラストシーンでした。
 
Twitterのトレンドにも入っていましたね。「どういうことかわからない」「なんで2人が会うところまで描かないの?」という声が多数でした。
 
けれども、テレビ番組を作っているのは優秀な方々ですから、この終わり方には必ず意味があるはずです。
そう思って見ていた私も、その意味を汲み取りたいとは思いつつどう解釈するべきなのか迷い、疑問を払拭できませんでした。
  
 
 
 
ちょうどドラマが最終回を迎えた頃、私が受けている授業で、ある学説を聞きました。
 
それは、ルネ・ジラール(フランス生まれ、1923年~2015年)という学者の『欲望の現象学』という著書内で述べられているものです。 

 

欲望の現象学〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

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 まずは、この学説について説明します。
 
ジラールは、人間の欲望は三角形的であるとしました。
 
 

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手書きでごめんなさい。
 
この三角形は、
Subject=欲望の主体(自分)
Model=欲望のモデル(こんな風になりたいな、と思う人)
Object=欲望の対象(物、地位など)
を頂点とした構図です。
 
普通、欲しいものや好きな人ができるときって、そのもの自身が魅力的だから好きになるのだと思いますよね。
でもジラールが言うには、それは違うのだそうです。人間(Subject)は、Modelを倒してそれに成り代わりたいという欲望を根底に抱えており、自分をModelに近づけるための手段として、Modelが所有しているObjectを手に入れたくなるのだそうです。
これは、SubjectによるModelの模倣行動ということになります。けれどもそれは、自尊心を保つために無意識的に行われます。
 
身近な例えを用いましょう。
あなたは、友達に服装や持ち物などを真似された経験はありませんか?
それは、真似してくる友達が無意識下であなたのことをModelにしているから起こるのです。
無意識下で模倣しているため、仮に友達に問いただしても、真似なんかしていない、としか言われないでしょう。
 
この理論では、Objectは、「最も重要に見えて最も重要でないもの」となります。
最も重要なものは常にModelであり、ObjectはModelによって変わりうる不確定な存在です。
  
改めて整理すると、下図のようになります。
  

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さて、この理論に則って『花のち晴れ』への疑問点を考えてみましょう。
 
 
疑問点①:なぜ神楽木晴は、江戸川音に固執し続けたのでしょうか。彼女は婚約しており、また、彼の周りには他にも女性がいたにも関わらず。
しかしながら、神楽木晴から江戸川音に対する深い想いを感じ取れる心理描写はなかったのです。神楽木晴は、本当に「江戸川音自身」が好きだったのでしょうか?
 
 
先程説明したジラールの説を用いて考えてみましょう。
Subject、Model、Objectに、登場人物を当てはめます。
 
神楽木晴は、馳天馬に強い嫉妬と羨望の気持ちを抱いていました。
馳天馬は、神楽木晴の通う英徳学園のライバル校である、桃乃園学院の生徒会長です。英徳学園は、桃乃園学院に人気を抜かされつつありました。また、本人自身も文武両道で心優しい完璧な存在です。
神楽木晴は、なぜ自分は彼のようになれないのだろうかと常に悩みを抱えていました。
 
この関係性から考察すると、Subjectが神楽木晴、Modelが馳天馬ということになるでしょう。そして、Modelの馳天馬は、江戸川音というObjectを所有しています。
 
さっき、「人間は、Modelを倒してそれに成り代わりたいという欲望を根底に抱えている」
という説明をしました。
 
神楽木晴は、馳天馬というModelを倒し、それに成り代わりたかったのです。
ですからModelに近づくための手段として、「馳天馬というModelが所有しているObjectである江戸川音」を強く求めていたのです。
馳天馬に成り代わるためには、江戸川音以外の人物では代わりがききません。そこでは江戸川音に対する明確な好意など、そもそも必要ないのです。だから「いつのまにか好きになっていた」という表現にとどまり、具体的な心理描写がなかったのでしょう。
 
図で整理します。
 
 

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神楽木晴が婚約者のいる江戸川音を求め続け、他の女性には見向きもしなかった理由もこれでわかりました。
神楽木晴は、「江戸川音自身」が好きだと思っています。しかし、無意識下では馳天馬に成り代わるための手段として、「馳天馬が所有している江戸川音」を欲していたのです。
  
 
 
②終わり方。
江戸川音が「それから…それから…」と、神楽木晴との楽しい想像をしながら彼の元へと向かう笑顔の場面が、最終回のラストシーン。
その後、2人がどうなったかについては一切描かれていませんでしたね。
 
考えてみましょう、
なぜ描かれなかったのでしょうか。
 
神楽木晴は「馳天馬が所有している江戸川音」に価値を見出しているとします。
婚約を解消した彼女は、もう「馳天馬が所有している」状態ではなくなりました。
 
その状態の彼女に対して、神楽木晴は今までと同じ気持ちを抱くのでしょうか?
 
最終回で、なぜ2人が正式に交際を始めるところまで描かなかったのかという点について、視聴した当初は不思議な終わり方に感じました。
 
けれども、ジラールの説を知り、その終わり方こそがこの物語の妙だったのだと気がつきました。
 
この作品を普通の恋愛モノとして捉えれば、このまま2人が付き合い始めると考えるのが自然でしょう。それなら、そこまで描写すればいいんです。
 
でも、そうはしなかった。
 
ということは、このドラマは「普通の恋愛モノ」ではないのです。
この終わり方は、2人は付き合うことにはならない未来を暗示していると解釈できるのではないでしょうか。
神楽木晴は、「馳天馬が所有している江戸川音」が好きなのであって、「馳天馬が所有していない江戸川音」には興味は持たないでしょう。
 
 
原作者の神尾葉子先生や、ドラマ制作者の方々はジラールの説を知っているのでしょうか、感動いたしました。
少なくとも私は、ジラールの節を知って『花のち晴れ』が一層お気に入りの作品となりました。
 
平野紫耀くん、杉咲花ちゃん、中川大志くんと、キャストの皆さんが本当にキラキラと美しくて、この「普通の恋愛モノではない」物語の不思議さとその溢れんばかりのキラキラオーラが、何だかすごく合っているなぁと感じました。
 
ちなみに、夏目漱石などの名だたる文豪たちも、このジラールのモデルにぴったりはまる三角関係の物語を多数生み出しています。それが魅力となり、長年読み継がれる名作となっているそうです。